| Biography |
正式な結成は1971年だが、PENTAGRAMの起源は1970年、ヴォーカリストBobby LieblingがワシントンDCのSPACE MEAT(のちにSTONE BUNNYと改名)に加入した事がきっかけとなる。当時のラインナップはJohn Jennings (G)、Greg Mayne (B)、Geof O'Keefe (Dr)で、のちにPENTAGRAMを結成する事となる。Lieblingのハードなヴォーカル・スタイルがJenningsのメロディックな楽曲に相応しくない事が原因で、STONE BUNNYはわずか数ヶ月で解散し、Jennings/Mayne/O'KeefeのトリオはSPACE MEATに回帰するが、それも間もなく解散に至った。
1971年秋、LieblingとO'Keefe(ギターへ転身)は自分たち好みのヘヴィー・ミュージックをプレイするべくバンドを結成。最初のラインナップにはVincent McAllister (B)とSteve Martin (Dr)をフィーチャー。BLUE CHEER, THE FROST, THE GROUNDHOGS, STRAY, SIR LORD BALTIMORE等の影響を受けた楽曲を作り始めるが、音は紛れもなくPENTAGRAM独自のサウンド。
1ヶ月後、John Jenningsがラインナップに戻り、WISHBONE ASH, THIN LIZZYのようなグループのツイン・ギターのスタイルをもたらすが、Martinのジャズに影響されたスタイルがバンドのカラーに合わず、O'Keefeが結果的にドラムを担当する事になった。のちにJennyが脱退。
1971年のクリスマスの日にSPACE MEATのベーシストGreg Mayneが加入し、PENTAGRAMの“オリジナル”ラインナップが完成。
1972年夏、1stプロモーション用シングル「BE FOREWARNED/LAZY LADY」のプレスに入る直前、サタニック・バンドとレッテルを貼られるのを避けるためにMACABREと改名。しかし発音が紛らわしい為、VIRGIN DEATH、WICKED ANGELと改名し、最終的にはPENTAGRAMへと舞い戻った。
1973年12月8日、メリーランド州のモンゴメリー・ジュニア・カレッジ内で初ライヴを敢行。このLiebling/McAllister/Mayne/O'Keefeのラインナップ(2人メンバー追加を除く)は1976年まで続いた。
1974年、Randy Palmerがセカンド・ギタリストとして短期間在籍し、「NATIONAL SOUND WAREHOUSE(スタジオ)でのセッション及び、ROLLING STONESの名曲"Under My Thumb"のカヴァー曲のレコーディングに参加。同年7月バージニアはFalls ChurchにあるFalls Church Community Centerでのライブはこのメンバーで行われた初のライブとなった。
1975年にPalmerがバンドを脱退&再加入するがその後再び脱退。
同年にバンドはCBS/COLUMBIA RECORDSと契約を結び、Murray KrugmanとSandy Pearlmanをプロデューサーに迎えデモのレコーディングのためニューヨークへ飛ぶ。Murray KrugmanとSandy Pearlmanは「BLUE OYSTER CULT」と「THE DICTATORS」で知られる当時の売れっ子プロデューサーであった。残念ながらレコーディング中に起きた不和のためデモは完成せず、これが発表されることもなかった。
KISSのジーン・シモンズとポール・スタンレーがGordon Fletcher(PENTAGRAMの当時のマネージャーであり、有名なロックジャーナリスト)にPENTAGRAMのリハーサルに呼ばれたのもこの頃である。その日バンドは準備不足でベストな状態ではなかったこともあり、ジーン・シモンズもポール・スタンレーも特別バンドの音に感動したということはなかった。KISSがPENTAGRAMの曲"Starlady"と"Hurricane"を購入すると申し出て、それをPENTAGRAMが断ったという話は噂によく聞くが、これを否定する見方もある。当時KISSは自分たちで曲を満足に書いていたし、PENTAGRAMも当時は金銭的には困っていなかったはずなのである。加えて"Starlady"の主要ライターであったRandy Palmer(2002年に惜しくも交通事故で死去)は、この楽曲を売却することなど考えてもいなかったと何度も述べていた。一説にはこの一連の売却の話はGordon Fletcherrが独断でKISSにもちかけていたのではないかとも言われている。
コロンビアとKISS間に起きた複数の不和の後、McAllister/Mayne/O'Keefeの3者は1976年初頭にLieblingから離れることを決めたが、彼がバンド名を所有して
いたため、彼の不在にあって、バンド名を使用することが出来なかった。バンドはO'Keefeによるソングライティングをはじめとして新作にとりかかり、それと同時にヴォーカルのオーディションを始め、その過程でMarty Iversonがギターとして新たに加わった。結局バンドはLieblingを再度迎え、同年の冬に実に数多くのライブをこなし、UNDERGROUND SOUNDからデモ5曲をリリースする運びとなった。
バンド内かつマネージャーとの更なる不和の後、1976年末、PENTAGRAMはここに解散することとなる。McAllisterとO'Keefeはそれまでのマネージャーらによって召集され、地元のバンドに加わるが、Lieblingは新生PENTAGRAMを結成すべく活動を開始した。
1978年半ば、Lieblingは地元ワシントンDCでドラマーJoe Hasselvanderと出会う。彼はPENTAGRAMのオープニングアクトとしてプレイしていた地元のバンドのドラマーだった。LieblingとHasselvanderはそれぞれヘビーロックへ傾ける情熱を語り合い、これはその後続くこととなる2人の息の長い付き合いの始まりとなった。
HasselvanderのバンドTHE BOYSが解散し、PENTAGRAMが活動停止となっていた中で1978年のハロウィンの日、LieblingとHasselvanderはそれぞれのバンドのトリビュートライブで遭遇。この時Hasselvanderは既に別のバンド(このバンドはちょうどヴォーカルを探していたのだが)でプレイしていた。その1週間後Lieblingはこのバンドのヴォーカルとなり、バンド名をPENTAGRAMと変更、このバンドはかつてのPENTAGRAMの名曲をプレイすることもあった。
"Livin In A Ram"と"When The Screams Come"をフィーチャーしたシングルが1979年に地元のレーベルから発売されたが、PENTAGRAMはバンド内の個人的な事情を理由に販売を差し止めた。
HasselvanderがLieblingに自分がドラムを担当していたバンドDEATH ROWのギタリストVictor Griffinを紹介したのは1981年のハロウィンのことだった。Lieblingはすぐにバンドのヴォーカリストとして迎えられ、バンドはその直後に"All Your Sins"を制作。その後間もなくベースが脱退、LieblingはかつてのPENTAGRAMの同窓Martin Swaney(1978-1979年にPENTAGRAMに在籍し"Livin' In A Ram's Head"に参加)を迎える。バンドは1984年までDEATH ROWと名乗るが結局ファンの強い要望によりPENTAGRAMをバンド名に使用することになる。
バンドはまもなく1985年2月にPENTAGRAM RECORDSと契約するが、レーベル側の活動はあまり活発ではなく、たいしたサポートを得ることは出来なかった。このマネージメント面、ディレクション面におけるレーベル側の怠慢がきっかけとなり1985年にHasselvanderが再度脱退することとなる。1985年6月にセルフタイトルのデビューアルバムがリリースされ、その5ヶ月後にHasselvanderが脱退。彼はその後イギリスのメタルバンドRAVENのskinsmanとして表舞台に現れることとなる。
Hasselvanderの脱退とデビューアルバムのリリース直前、バンドは2ndアルバム「DAY OF RECKONING」制作のためにCue Studiosに入った。Hasselvander脱退後はStuart Roseが加入し、1987年まで留まることとなる。結局「DAY OF RECKONING」がNAPALM/DUTCH EAST INDIA TRADINGからリリースされたのは1987年のことだった。レーベル側のライブ企画・金銭的サポートの不足により、バンドは1988年の夏に再び解散へと追い込まれる。Lieblingは1989年に別のラインナップでバンドを結成するも1年ともたず解散。しかしながら1990年にPEACEVILLE RECORDSがバンドとの契約に興味を示し、1stと2ndアルバムを再リリース。これをきっかけにVictor Griffinがバンドに再加入。Hasselvanderもこれに続くが、彼はRAVENでの活動も並行して行った。さらにはMartin Iversonも再加入。
1992年発売のPEACEVILLE RECORDSからのコンピレーション「VOLUME 4」に"Sign Of The Wolf"が収録され、これが同レーベルから発表される初の楽曲となった。
続く1993年3月には7インチの限定版コレクターズクラブに"Day Of Reckoning"と"Relentless"が収録され、アルバム「DAY OF RECKONING」は同年8月にリリースされた。
1994年1月にリリースの「BE FORWARNED」はメディアによって大絶賛される結果となった。そして1996年、Hasselvander(RAVENでの活動は続行、CATHEDRALではツアーサポートとして参加)が脱退し、Swaneyが音楽業界から退くこととなる。Hasselvanderの後任にはGary Isom(IRON MAN/SHINE)が、Swaneyの後任にはGreg Turleyが加入した。バンドはいくつかショウを行うもドラッグ問題で再度解散となった。
1998年にライブ音源と70年代の未発表音源を収録した「HUMAN HURRICANE」が1,000枚限定でカナダのDOWNTIME RECORDINGSからリリースされた。これは熱心なバンド信者向けの作品であったが、楽曲の質はあまり良いものではなかった。その後1999年にバンドはLieblingとHasselvanderのみで再び結成された。その直後にBLACK WIDOW RECORDSがバンドと契約を結び、驚くべきことにHasselvanderが全パートの演奏とほぼ全てのソングライティングを担当する形で「REVIEW YOUR CHOICES」がリリースされた。この作品にはバンド初期の名曲を再度録り直したものも含まれていた。
2001年12月、BLACK WIDOW RECORDSから現時点での最新作「SUB-BASEMENT」がリリースされた。この作品もLieblingとHasselvanderの2人によって制作され、過去の名曲を録り直したものと新作の両方を含む内容となっている。2002年にRELAPSE RECORDSは元祖「Ram Family」ラインナップによって1970年代に収録されるも未発表となっていた作品を発見。初のバンド公認回顧作品としてCDを発表する旨をバンドに申し入れた。2002年には初期のレアなトラックと未発表のライブ音源からなる「FIRST DAZE HERE」をRELAPSE RECORDSよりリリース。
そして、そのここに、70年代の貴重な音源だけでなく、未発表曲とライブリハーサル・テイクも含んだ2枚組となるコンピレーションアルバム「FIRST DAZE HERE TOO」がリリースされる。
デビュー当初"ドゥーム・ロック"とも称されていたBLACK SABBATHの登場と、ほぼ同時期に活動を開始した、このPENTAGRAMはBLACK SABBTAHと同等と言っても差し支えない程、後続のドゥーム/ストーナー・バンド達へ絶大な影響を与えて来た。CATHEDRALもHIGH ON FIRE/SLEEPも全ては、このワシントンDCの伝説的バンドから始まっていると言っても言い過ぎではないのだ。その先駆者のマスターピース22曲が、遂にここに再発掘!伝説は今もなお生き続けているのだ!! |
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| Discography |
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First Daze Here Too
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仕様:2CD
解説・対訳付
定価:\2,300(税込)
品番:YSCY-1034
YSCY-1035 |
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